イベントレポを書かないで

千葉雄大さんのイベントレポ「千葉雄大(30)とゆく、伊勢志摩修学旅行」に行ってきたレポ① - やまびこ と ビスケット、予想してた以上にたくさんの方に読んでいただきました。ありがとうございました。とてもうれしくてRTして下さった方のところに飛んではにこにこしています。

 

 

そんな中に「レポ読んで中途半端な気持ちで来て欲しくないからレポしないで」「イベントに応募する人が増えて行きづらくなったら困る」そんな声を見かけて、ふむ、なるほどなと思いました。元ツイートは見失っちゃったんだけど……そういう気持ちを抱いている人に向けて、少し書こうと思います。

 


うん。

そうだよね。わかるよ、その気持ち。思っちゃうよね。この規模で会えるのはいつまでも変わらないでいて欲しいよね。それはすごく自然な感情だし、叶うなら自分だけのちばくんでいて欲しいよね。わたしだって伊達に女優さんへのガチ恋こじらせてないもの。わかるよ。

 


わかる…わかるんだけど。それでも、私はレポを書きたいです。書かなきゃいけない、って思ったから書きました。

 

 

 

ごめんね。

 

 

 

どうして書くかというと、それは、今までに大好きな人が活動の終わりを選択する姿を見てきたからです。

そして、そういうのはもう……死んでもごめんだからです。

 


いなくなるのは一瞬で、昨日まで咲き誇っていた椿が、綺麗なままその花を落とすかのように本当にあっけないものです。手を差し伸べて支えようとしても、無意味です。もう終わると決まっているから。その結論に至るまでに様々な葛藤があったとしても、私たちが知り得るのは全てが結論付いたあと。どれだけ辞めないで欲しいと、私には必要なのだと大きな声で論じようとしたってその結論が覆される事は、悲しいけれどまずありません。

 


私たちが思う以上にあの世界はシビアです。最も重んじられるのは、数字です。動員数、売り上げ、視聴率。数字を取れる人が必要とされて、取れない人間に用はない。本人の努力一つではどうにもならない、ある意味シンプルで、そして残酷な世界です。そんな場所に自分たちの好きな人は立っているのです。好きな人の笑顔がどれだけ不確かで心許ないものの上に成り立っているんだろう、って改めて考えるとぞっとしませんか。そしてその笑顔がどれだけ美しく人々を魅了するものであっても、そこに数字が伴わなければ、言葉どおりその笑顔は「見られない」ものになってしまう。

 


何かを終わらせる選択をする時、その理由は人それぞれです。

 


次の目標が出来たり、新天地を目指したり。前向きにピリオドをうつ人たちがいる一方、やるせない理由で終わらざるを得ないこともある。そしておそらく華やかなあの場所は、本人の意思とは関係無く、「必要とされない」という、なんともやるせない理由によって終わりを選ばなければいけない危険性がある場所です。

 


私は自分の好きな人に、そんなやるせない理由で終わりを選ばなければいけない人になってほしくありません。たとえ終わりが来たとしても、自分の意思で終わらせられる人でいて欲しい。

 

 

 

今回ツアーに参加して、オタクのスラングで言う「実質無料」がスラングでもなんでもなく、事務所の取り分を考えていない採算度外視のイベントなのではないのかなと感じました。取ろうと思えば、きっともっと際限なく取れるし、取ってもおかしくない。それくらい素晴らしいイベントであるということは、行かれた方ならきっと誰よりもよく分かるはずです。

それでも、この規模のイベントをこの金額ですでに知名度の高い彼が続けてくれているのは、もうほとんど奇跡といっても過言ではないと思います。それはちばくんの優しさであり、ファンへの信頼であり、事務所の方たちがちばくんの先を見据えた結果がこの素敵なイベントを成立させているんだと思うんです。

 


それでも慈善事業ではない訳ですから、数字の取れないイベントの採算はどこかで取らないといけないわけです。他に繋げるために必要なのは数字です。千葉雄大をドラマに、映画に、CMに起用すれば数字が取れるという事実が必要になる。売り上げが上がる、視聴率がとれる。じゃあどうやれば数字が取れるのかというと、もうファン一人の力ではどうにもならないわけですよ。ほとんどの家には視聴率を測定する機械は付いてないし、ラ王買うって言っても毎食食べたとて知れてるし、あとなんだっけ、布団とか……URで家……家買う?買えます?……私ですか?そうですね……もちろん買うならURにしますけど、今のところ家は……家より何より、まずパートナーをね…………それからですよね…………URさんにお世話になるのは……

 

 

 

……話を戻します。

例えば家電を買う時、たいていの人はネットで評価を確かめるでしょう。Twitterで流れてきたおしゃれな女の子のツイートを見て新作コスメを買ったりもする。誰かの声はよく知らない何かを信頼するひとつの理由になり得ます。レポを読んでくださった方の感想をたどると、本当に彼への好意的な声ばかりです。ちばくんの顔も名前も知らなかった人がレポを読んで検索して顔を認識してくれたり、苦手から好きに転じてくれたりしています。そうしてそんな人たちが、次にテレビや映画やCMでちばくんを見かけた時に「あっ」と思ってくれる。商品を手に取ってくれる。チャンネルを変えないでいてくれる。そうして、少しずつ数字が積み重なっていって、新しくちばくんを必要とする場所が増えていきます。

 

 

 

 


だから、伝えないといけないと思うんです。

 


ちばくんが休み返上で指輪を作りに行ってくれたこと、忙しい仕事の合間を縫ってこの為だけのムービー撮影をしてくれていたこと、ちゃんとファン一人一人と向き合ってくれたこと、雨が降る中ずっと手を振ってくれたこと。「ありがとう」の言葉と一緒に、ちばくんの素敵なところを伝える責任があると思うんです。わたしは緊張しいでご本人と対面すると上手にお話できないから「ちばくんに会えて嬉しかった」「パーティもお部屋訪問も楽しかった」「あの日、私が世界で一番幸せだった」とインターネットの端っこからできるだけ大きな声で叫びます。本人に届かなくても、巡り巡って数字になって本人に届けばいい。

 


結局のところそうするのは、ちばくんにずっと私から見えるところにいて欲しいからです。ちばくんが将来どうしていくのか、それは私には知ることが出来ないけれど……彼が望むならおじいちゃんになっても役者でいて欲しい。あの世界の、それが出来るほんのひと握りの人間でいて欲しい。エゴでもいいからそのために私の出来ることをしたい。好きな人の希望でありたいです。

 


私はもう「大好きなあの子の素敵なところを、もっと大きな声で叫べばよかった」と声が枯れるまで泣いた日を繰り返したくないのです。

 


あ、「伝える責任」と書いたけれど…それは私自身がそう感じただけで、今回のことを自分の中の大切な思い出としてどこにも出さずに愛でるのもとても素敵なことです。今回わたしは包み隠さず全部さらけ出してしまいましたが(笑)その方が今回は良い方に作用すると判断しただけで、そうでない場合も過去にありましたから。自分と“大好きなあの子”との間だけの大切な思い出にしたこともたくさんあります。

 


ちばくんの言葉を聞いて、明るい未来を思い描けなかったことはありません。どんな形であれ、ファンの前に出ることをやめる人ではないと思います。……そうじゃないとあんなイベント出来ないから安心していいんじゃないでしょかね。ほんと。絶対大丈夫だよ。