「あさが来た」がくれたもの 【あさが来たの再放送に寄せて】

 f:id:sorairo_opera:20181105021012j:image

11月6日から私の人生を大きく変えたドラマ「あさが来た」の再放送がスタートします。今世紀最高視聴率を達成した本作ですが、単純に数字の凄さだけでは計り知れない素晴らしいドラマだと私は心から思っています。一人でも多くの人に見てもらいたい、そんな気持ちを本放送当時からずっと抱いて生きてきました。3年近く経った今でも、その気持ちは全く変わっていません。

 今年、波瑠ちゃんへのお誕生日お祝い企画を立ち上げて彼女に贈った本に寄稿した、私の「あさが来た」へのラブレターをここに再掲します。内容への大きな言及はありません。一人のオタクがドラマによって救われただけの四方山話です。読んでもらえたら…そして、少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。

 

「「「「「「「「「「「「「「「「

 

 10年間必死に働いてきた会社を逃げるように辞めて、そのまま実家に転がり込んだ夏の終わり。
 食事もとらず、まるで抜け殻のようになってしまった私を見かねた母が、せめてもの気晴らしにと何気なく「決まった時間に起きるために、朝ドラでも見てみたら?」と言ってくれたのが、私の「あさが来た」との出会いです。
 あさが来た、第二週。
 子役の鈴木梨央ちゃんから本役の波瑠ちゃんにバトンタッチする、その日のことでした。


 そんなふうにして、目覚まし代わりに始めたはずの朝ドラ視聴は、その展開の小気味よさに『やることがない私の気晴らし』から『人生最大の楽しみ』へと変わり“一日4回の放送(7:30早あさ→8:00本あさ→12:45昼あさ→23:00夜あさ)をコンプリートすることを生きがいにするニート”が誕生するのにそう時間はかかりませんでした。

 あさが来たを初めて見た時に心を掴まれたのが、あさのあの不思議なほどの清廉さです。「銭」「金」「商い」これらを連呼してもなお、爽やかな風すら吹きそうに清廉。この、あさを演じる波瑠ちゃんからにじみ出る「真似のできない健やかさ」は間違いなく、あさが来たの大きな魅力の一つでした。
 主人公あさの周りには、玉木宏さん演じる旦那の新次郎、宮崎あおいさん演じる姉のはつをはじめとした個性的で色濃いキャラクターがたくさんいます。中心にいるあさを演じる波瑠ちゃんは、その周りの鮮やかさに気圧されてしまうのでは?という心配の声もあったようです。しかし、視聴を重ねるうちにあさのその「唯一無二の清廉さ」を通して見るからこそ、周りの色が際立って見えることに気付きました。あさが来たは確かにあさが主人公の物語ではあるけれど、そこには登場人物ひとりひとりに人生がある。当たり前だけど忘れがちなことをきちんと見せてくれた功労者は、他でもないあさを演じた波瑠ちゃんだったと感じています。

 あさが来たと生きたあの半年間、あさちゃんとそれを演じる波瑠ちゃんに私は何度も救われました。あの世界で生きる人達を夢中で見ている15分間だけは、自分に起きたすべてを忘れて笑うことができたのです。
 大好きだったこと、大切にしていたこと。10年で積み上げてきた色んなものが手の間をすり抜けて落ちていくのを、ただ見ているしかなかった自分のことを。
「もう頑張らなくていい」と言われる自分へのやるせなさも、数々の試練を「びっくりぽんや!」の一言で軽やかに駆け抜けるあさの姿に、頑張っていた今までの自分を肯定されているかのように思えて心が軽くなりました。

「負けたことあれへん人生やなんて、面白いことなんかあらしまへん。勝ってばかりいてたら人の心がわからへんようになります」
落盤事故に気落ちするあさを慰める新次郎のこの言葉に自分の現状を重ねて、

「九つ転び十起きや思て、負けしまへんで」
と返すあさの言葉に励まされる。二人の愛おしいやりとりを見守って毎日一喜一憂しているうちに、気付けば処方された薬を私はもう一錠も必要としなくなっていました。


「あさが来た」はまごうことなき『愛の物語』です。

 

 失ってしまった大切なものはまた新しく見つければいい。10年かけて積み上げたけれど壊れてしまったものもこれから10年、20年かけて積みなおせばいい。あさちゃんのように日本を動かすことは出来なくても、実直に働いて人の役に立てることをしたい。

「やると決めたんやったらやりとおす。負けたらあかん。他人にやない。自分にだす」

 人と関わることで生まれる愛の数々を見つめ続けた半年間という時間は、私に再起を決意させるのに十分な力を与えてくれました。半年かけて「今の自分が本当にやりたいこと」を見つけることが出来ましたし、その目標に向かってまっすぐ進もうとする推進力を分けてくれました。そしてこれから積み上げていく人生の最初の土台となる大切な作品となりました。